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『因果因縁(いんがいんねん)』 僕たちは 何をしても 何を言っても 何を考えても 必ず『業(ごう)』が付くんだ 『業』って何? 『業』は『行い』を意味する 『身体』で『行う』『業』 『身業(しんごう)』 『口』で行う言葉の『業』 『口業(くごう)』 『意識』し考えで行う『業』 『意業(いごう)』 これ等を『身口意の三業(しん、く、い、のさんごう)』と言う 誰かを、助ける又は傷付ける 『業』 誰かを、助けるため言う又は傷付けるため言う 『業』 誰かを、助けるため考える又は傷付けるために考える 『業』 ソコに『善』が在るか『悪』が在るか これ等を、僕たちは選び生きてる コレは間違いない。 その積み重ねが一人一人の『業』になり 溜まっていく 違いは『善業』か『悪業』か 良い事を行い、言っていても 心で舌を出していたら コレは『悪業』になる 僕は悪業の塊 『善業』『悪業』を一言で 『因』と言う その結果の『果』 『因果応報』 仏教書『スッタニパータ』の教えの詩に 『業というものは、誰のものであろうと、決して消滅するものではない。 それは必ず戻り、成した者(行った者)が受ける』 応(こた)えは自分に報いる 自分の業は自分に返ってくる 悪い事をしたら自分が悪い目に逢う 善い事をしたら自分が善い目に逢う コレが『因果応報』 『情けは人のためならず』 ウソっぱち! 世の中悪い奴が、のさばり 善い奴が傷付けられてるじゃないか! 良い人が通り魔に殺されたり 赤ちゃんが親に殺されたり… そう‥ 『因果応報』とは生まれ変わりの 『輪廻』の範囲までおよんでいるんだ。 今、生きている『この世』で応えを報いるか 『来世(あの世)』で応えを報いるかなんだ だから、昔の縁日の出店のおっさんが 『親の因果で子が…』とかは間違い 『この世』では 『因果因縁』 自分の『因』の結果の『果』までの、あいだに『縁(えん)』が影響するんだ。 『縁』は自分では避けることが出来ない 『袖ふれあうも多少の縁』 例えば 『 大学の入試を自分は、バッチリ勉強し 絶対合格する 「因」 そして試験を受けて当然合格した 「果」』 だけど『縁』とは 『 大学の入試自分はバッチリ勉強し 絶対合格する 「因」 向かう途中のタクシー又はバスが 事故を起こし試験に間に合わなかった 「縁」 大学の入試が出来ず合格する事が 出来なかった 「果」』 まるで『縁』悪者扱いみたいだけど この逆も在る 一人の人間が 『 貧困で疲れて、しいたげられるのは親が悪い、運が悪い、世の中が悪いと考えた 「因」 無差別に人を傷付け人の命を奪った 「果」(この場合、巻き込まれた人は、この人間の「縁」が関わった結果になる)』 だけど 『貧困で疲れて、しいたげられるのは親が悪い、運が悪い、世の中が悪いと考えた 「因」 無差別殺傷を決意し、包丁を買いに行く 道中 小さな花を見た 又は 赤ちゃんの笑顔を見た 「縁」 自分の中の何かに気付き調理師になった その後 幸せに暮らした 事件は起こらなかった 「果」』 この前の『夢』の中の、『僕』への『あがき』の応えは、まだまだ出せない 待ってろ 今日の、今の、僕がココに存在するのは様々な『因』、『縁』、『果』が在るから 『在ったから』じゃなく『在るから』、在り続けるから 今、僕が存在するんだ 僕は、ドコに向かうのだろう? 何が出来るのだろう? 難しい‥ でも皆と逢えた『縁』は とっても嬉しい! コレからも皆と『御縁』がありますように またね
by manotomoki
| 2008-10-23 00:54
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